デル・ネーリのサンプドリア監督就任が決まった2009年6月の時点で、メディアはカッサーノとの関係性に注目していた。かつてローマで対立関係にあったと噂されていた両者が、サンプで良好な関係を築けるのか不安視する声もあった。だがデル・ネーリはカッサーノを主力として起用し、選手も素晴らしい活躍でチームの勝利に大きく貢献していた。
しかしカッサーノが開幕序盤のパフォーマンスを維持できなくなり、チームも成績不振で順位を落とし始めると両者の信頼は薄らいでいく。1月24日ウディネーゼ戦でカッサーノが招集メンバーから外れると、メディアは両者の対立を報じるようになった。クラブ関係者やデル・ネーリ本人が否定しても、関係悪化の噂は一向に消えなかった。
「カッサーノは試合途中から使う選手ではない。先発で使うか、招集せずに休養させるかのどちらかだ」とデル・ネーリはウディネーゼ戦の前に話していた。指揮官が前線にフィジカルを求めてパッツィーニとポッツィの2トップを選んだことで、カッサーノの出場機会が激減するのは誰にでも予想できる未来だった。
事実、翌週のアタランタ戦にもカッサーノは招集されなかった。数日前の練習で鼠径部を痛めていたが、デル・ネーリは「戦術上の判断であり怪我は関係ない」と招集外の理由を話した。事実上の構想外となったカッサーノの動向が注目されたが、冬市場閉幕目前だったため他クラブの動きは実に鈍いものだった。
だが1月30日、フィオレンティーナが獲得に手を挙げたというニュースがイタリアを駆け巡る。FWムトゥが薬物検査の結果、長期出場停止となる可能性が出てきたことでフィオレンティーナは代役を探していた。カッサーノの代理人がフィレンツェに向かい、交渉は瞬く間に合意。トスカーナ州のテレビは移籍決定を大々的に報じた。
もっとも、1月31日の朝になっても、放出を認めるのかサンプドリア側の方針は固まっていなかった。クラブ水準を大きく超える条件(年俸320万ユーロ)で契約している選手を、このまま構想外にし続けるのは難しい。その一方でファンやメディアから絶えず注目を集めるカッサーノの広告効果を無視することもできなかった。
フィオレンティーナ移籍が決定的とされていたカッサーノだが、1月31日の昼過ぎにクラブの公式サイトで残留を表明。冬市場閉幕前の数日間でファンたちを慌てさせた「退団騒動」はこうして幕を閉じた。だがその結果、デル・ネーリはこの後もカッサーノとの関係性や起用法という煩わしい問題でメディアから注目されることになる。