ユベントス戦勝利の立役者として、ジェコはヨーロッパ中の新聞で大きく取り上げられている。キエッリーニとの空中戦を制して叩き込んだゴールは、獲得を熱望していた者たちの判断が正しかったことを証明する一撃だった。ローマ到着時には5000人近いファンが空港に押し寄せ、クラブショップでも背番号9のシャツが飛ぶように売れている。
ローマがジェコ獲得を検討し始めたのは昨年12月のこと。パロッタ会長、サバティーニSD、ガルシア監督のトップ会談は深夜3時まで続いた。ユベントスとの直接対決に敗れ、チャンピオンズリーグ敗退も決まった状態から立ち直るには、チームが持つ攻撃のポテンシャルを引き出せる強力なセンターフォワードが必要とされた。
「自分が仲介したわけではない。真摯に交渉を続けたクラブ幹部の努力によるものだ」とピアニッチは謙遜しているが、ボスニア代表のチームメイトである彼の存在がジェコの移籍に大きく影響したのは紛れもない事実だ。6月にはクラブ関係者が代表合宿に参加していたジェコと接触し、合意を引き出した。ジェコ本人もローマ移籍のために、アーセナルやポルトなど複数のオファーを拒否している。
決裂寸前まで難航した交渉
FFPの問題でUEFAから警告を受けていたローマにとって、ジェコ獲得は決して簡単なことではなかった。マンチェスター・シティと最初に接触したのは3月。当初はシティとの契約が切れるミルナー獲得交渉だと思われたサバティーニSDの渡英だが、実際にはジェコ放出の意思をベギリスタインSDに確認するためのものだった。
「相応の金額さえ用意すれば交渉には応じる」という回答を受けたものの、最低2000万ユーロの移籍金を条件とするシティとの交渉は合意できないまま、一時は完全に決裂する寸前まで難航した。最後の渡英前にサバティーニSDは「これが最後の交渉になる。この話し合いで合意できなかった諦める」と関係者に漏らしていた。