3月8日、イタリアサッカー界は偉大なる人物を失った。バッジョやグアルディオラを獲得して世界を驚かせたブレシアの元会長、ジーノ・コリオーニが78歳でこの世を去った。コリオーニは工業製品のデザイナーを務めた後、トイレの便座などを製造する企業「サニプラスト」を設立。実業家として大きな成功を収めてからはスポーツの世界にも進出する。
コリオーニが最初に情熱を燃やしたスポーツは自転車だった。当初はスポンサーとして大会の企画に尽力したが、次第にコースを決める権限を要求するようになる。後に友人たちとブレシア県内の地方クラブ「オスピタレット」を買収し、サッカー界での第一歩を踏み出す。クラブの会長に就任して、セリエC2の常連だったチームをC1昇格に導いた。
ミラン買収に失敗
1980年代にはファリーナ会長が所有するミランの相談役を務めている。深刻な経営不振に陥っていたミランの買収にも乗り出したが、買収に成功したのは資金力で上回るベルルスコーニだった。そこでコリオーニは、当時セリエBを戦っていたボローニャの株式を取得して会長に就任。チームをセリエA昇格に導き、UEFAカップ出場も果たしている。
1990年の夏にブレシアを買収したがクラブの同時所有が禁止されていたことで、ボローニャの株式売却が完了する1992年までは友人に会長職を託した。正式に会長となった数カ月後にブレシアはセリエA昇格を達成したものの、最初の数年間は成績が安定せず、2000年までに4度のセリエA昇格と3度のセリエB降格。96年には最終節でC降格を回避した。
バッジョ獲得
2000年から2004年まではブレシアの「黄金時代」である。バッジョ、グアルディオラ、トーニを獲得し、ベンチにはカルロ・マッツォーネがいた。下部組織育ちのピルロの才能も見抜いた。2001年にはクラブ記録となるセリエA7位を達成。インタートトカップにも2度参加し、パリ・サンジェルマンとの決勝戦は今でも伝説として語り継がれている。
4年連続でセリエA残留を果たしたものの、2005年には再び降格。コリオーニはクラブが経営難に陥った2014年7月に所有権を維持したまま会長を辞任し、2015年2月にブレシアを売却した。ブレシアは昨季、所得税の未払いを理由に勝ち点減点のペナルティを受けてレガプロ降格が決定したが、パルマの破産消滅によって今季もセリエBを戦っている。