サンプドリア戦とクロトーネ戦の指揮をデ・ブールに任せ、11月の中断期間で新監督を迎える、というメディアの予想は早々に覆された。サンプドリアに敗れた翌日、デ・ブール監督の解任が発表されたからだ。もっとも、タイミングこそ違えど、監督交代という判断に驚いた者は少なかっただろう。公式戦14試合7敗では解任も当然である。
デ・ブールは最後までチームとフィーリングが合わなかった。指揮官が志向する攻撃的なサッカーは選手たちに受け入れられなかった。トリノ戦では高いパフォーマンスを見せて勝利したが、数日後のサンプドリア戦ではそれ以前の低調なチームに逆戻り。選手編成と戦術が適合せず、シーズン開幕直前の就任で準備期間もずっと短かった。
クラブ上層部が最後までマンチーニ続投にこだわったことで、十分なフィジカルトレーニングが積めなかったことも大きい。メンバーを入れ替えながら日程を消化するデ・ブールの方針も選手たちは馴染めなかった。ある時は先発で、ある時はベンチ外。人間的には対立関係になかったが、デ・ブールは指揮官としてチームを掌握できなかった。
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だが事態はここから予想外の方向に進む。インテル上層部が後任監督を決めていなかったからだ。これまで複数の指揮官が後任候補として噂されていたが、有力視されていた元ラツィオ監督ステファノ・ピオリの就任は土壇場で白紙に。蘇寧グループの幹部たちがミラノにやって来て、後任候補たちとの直接会談に臨むことになった。
指揮官不在となったトップチームは暫定的に、下部組織の監督を務めていたステファノ・ヴェッキに託された。アウシリオSDやサネッティ副会長など、日常的にミラノで仕事をしている幹部たちはピオリの監督就任を主張し続けた。後任監督の人選を進める裏側でボーリングブロークCEOが辞任し、クラブ上層部の勢力図も変わりつつあった。
ここで登場するのが代理人キア・ジョーラブシャンだ。蘇寧グループから絶大な信頼を得ている彼は、この夏市場でも顧客であるジョアン・マリオを連れてくるなど、インテルのチーム編成に強い影響力を及ぼしていた。ヒディンク、ビラス・ボアス、マルセリーノ・ガルシアなどの名前が挙がり、ジャンフランコ・ゾラまでもが候補となった。
デ・ブールの失敗に懲りたトヒル会長はシーズン途中の外国人監督招へいに難色を示し、ジョーラブシャンも同じ意見だった。マルセリーノ・ガルシアを高く評価していた蘇寧グループだが、最後はイタリア人幹部の意見を受け入れる形でピオリの監督就任が決定。その間にもチームはサウサンプトンに敗れ、EL敗退が決定的となっていた。