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長靴をはいた栗鼠

イタリアのスポーツ紙「コリエレ・デッロ・スポルト」などに掲載された記事を翻訳します。日本での知名度がイマイチなクラブを頑張って盛り上げる係。

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忘れられないモウリーニョの激励、元インテルDFキヴが振り返る大怪我からの復帰

2018年3月10日 インテル

――クリスティアン・キヴ、サッカーを始めたきっかけは?
父親がサッカー選手だったからね。生まれ育ったのはルーマニアの小さな町で、父は有名人だった。ルーマニアサッカー界で父より有名な選手になるのが目標だったんだ。

――ルーマニアでプロ選手になり、18歳でオランダのアヤックスに移籍します。
アヤックス移籍が決まった時に母に電話したら、最初の質問が「そのチームって強いの?」だった(笑) 最初の数ヶ月は苦労したよ。ボールをどうコントロールすべきか練習中に何度も注意された。トップチームの試合ではベンチに入って、月曜日にはユースチームの試合に出てオランダのサッカーを学ばされた。

――2003年にローマに加入します。
オランダで4年間プレーし、これから選手として成長するには新しい環境が必要だと感じていた。ローマの幹部がアムステルダムまで来てアヤックスの関係者と交渉して、カペッロ監督からは直々にローマ加入を説得された。結果的にスクデットは獲得できなかったけれど、自分の判断は間違っていなかったよ。ローマでの4年間は素晴らしい時間だった。

――サムエルとのコンビはどうでしたか?
知り合ってから友達になるまでに時間はかからなかった。彼はその後レアル・マドリーへの移籍が決まり、「最後は一緒にボカ・ジュニアーズで引退しようぜ」なんて言い合っていた。約束は果たせなかったが、インテルで再びチームメイトになれたんだ。良いコンビだったと思う。フィジカルと球際の強さはサムエル、状況判断や予測は僕が得意だった。

――2010年1月16日のキエーボ戦で、頭蓋骨骨折の大怪我を負いました。
あの出来事は僕の人生を変えた。病院に運ばれて手術を受ける前に「これから酷い未来が待っているんだろう」と思ったよ。最悪の状況に置かれれば、誰でも考え方や生き方が変わるものだ。あの時考えたのはサッカーではなく、家族のことだった。

――あの怪我から2ヶ月半後には公式戦に復帰しています。
クラブ関係者とチームメイトが支えてくれた。何よりモウリーニョ監督の存在は大きかった。退院して最初の2週間、チームメイトから「調子はどうだ?」と電話がかかってきて、モウリーニョも最初はそう言って励ましてくれた。でもCL登録リストを提出する1月下旬になると「調子はどうだ」なんて言わず、「いつ復帰できる?」って聞くんだよ。

順調に回復したとしても、選手として復帰できるのは6〜7ヶ月後だと聞いていたからね。「1ヶ月は安静にして、走れるようになるのはその後だから復帰は3月ですね」と、何の確証もないのに答えてしまった。そしたら1ヶ月後にはドクターから「走っていい」と許可が出たんだ。

――リハビリは辛かった?
走る感覚を忘れていたから最初はキツかったよ。ピッチを数周しただけで倒れ込んでしまうほど運動能力が落ちていた。それでも復帰に懸ける熱意はあったから努力したよ。そうして3月下旬に公式戦に復帰できた。

試合展開に問題がなければ、最後の5〜10分だけ出場させるとモウリーニョは話していた。試合先日の夜に先発メンバーを伝えるのが当時のやり方だったんだけど、この試合に限ってはキックオフ数時間前の発表だった。驚いたよ。自分の名前がスタメン表にあるんだから。とても感動したし、実際のプレーも良かったから本当に嬉しかった。

――チェフのようにプロテクターを着用して試合に出るようになりました。
あれは復帰2試合目のローマ戦のことだった。後半途中から試合に出たんだけど、ヘディングをした瞬間に左半身の感覚が無くなったんだよ。驚いてベンチにいるドクターに話をしたら、どうやら細胞の働きによってそういう現象が起こるらしいんだ。さすがに簡単には受け入れられなかった。

それ以来、強いクロスをヘディングすると頭から足まで左側の感覚が鈍くなった。引退するまで治らなかったよ。今でも左手の感覚が少し悪いけれど、この状態にも慣れたよね。

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イタリアのスポーツ紙「コリエレ・デッロ・スポルト」を翻訳します。誤訳と誤植と勘違いが大量に含まれますのでご注意ください。日本での知名度がイマイチなセリエAクラブを頑張って盛り上げる係。

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