セリエDからの再出発を余儀なくされたパルマが、3年連続の昇格という偉業を成し遂げてセリエAに帰ってきた。セリエBを戦った今季、リーグ42試合で21勝9分け12敗。安定した成績とは言えないが、大混戦の昇格争いを制して2位でセリエAへの切符を手にした。
最終的に昇格という大きな目標を達成したが、今季の船出は決して順風満帆ではなかった。最初の公式戦でバーリに敗れてコッパ・イタリア敗退、夏の戦力補強も思うように進まなかった。加入目前とされていたFWカプートとMFチャーノの獲得に失敗。カプートはエンポリでリーグ得点王に、チャーノもフロジノーネで14得点17アシストを記録した。
開幕序盤から攻撃力不足に悩まされていたチームを支えたのは、セットプレーを強さだった。開幕9試合で挙げた6つのゴールはすべてセットプレーから生まれたものである。
中国資本に支えられたクラブ
クラブの組織図も大きく変わった。11月には、夏の時点から噂されていた中国企業「Desports Group」の株式取得が発表され、ジャング・リザングが新会長に就任した。チームも好調を維持してパレルモやフロジノーネ、エンポリなどを抑えて12月にはセリエB首位となり、漠然とした目標に過ぎなかったセリエA昇格が現実的な目標へと姿を変えた。
だがカライオとチェラーボロ、2人のセンターフォワードが故障で離脱すると、パルマは滑り落ちるように順位を落としていく。パルマと入れ替わるように調子を上げたのがエンポリだ。長年ローマの技術スタッフを務めていたアンドレアッツォーリを新監督に迎えると、瞬く間に息を吹き返して勝ち点を積み重ね、2月には単独首位となっていた。
凄まじい勢いを見せるエンポリを追いかけることができず、他の上位勢は残された自動昇格の枠である2位を争うようになった。パルマは冬市場で数人の選手を補強したが、いずれも故障や調整の遅れによって戦力アップには繋がらなかった。
エンポリの背中が見えなくなり……
2月中旬、エンポリ戦で4失点の大敗を喫するとダベルサ監督の進退を問う声が一気に噴出する。首位エンポリに勝ち点12差、2位フロジノーネにも勝ち点9差をつけられて8位に転落。自動昇格どころか、プレーオフ参戦すら危ぶまれる状況に陥った。クラブ上層部は監督交代を検討しながらも、ダベルサ監督を支える方針を最終結論とした。
転機が訪れたのは3月に入ってからだ。昇格争いのライバルであるパレルモとフロジノーネを直接対決で下し、再び昇格争いに加わるようになった。リーグ7試合で6勝を挙げて順位を上げていき、最終節でフロジノーネをかわして2位の座を手にし、セリエA昇格の切符をつかんだ。
セリエA復帰までの道のりは決して平坦ではなかった。新生パルマが創設された時、上層部はネビオ・スカラを新会長に据えてクラブ作りをスタートさせた。だが方向性を共有できなくなり、会長、スポーツディレクター、監督が同時にクラブを離れるという異例の事態に発展した。こうした荒波を乗り越えて、パルマはセリエAで戦う権利を手にした。